みんな、みんな、まーとーめーて、だんご、大家族

前回の日記、朝昇龍と琴光喜について熱く語ったのですが、琴光喜を琴奨菊って書いてました。今気づいた。恥ずかしー! 四股名は、前からほんとよく間違える。

気を取り直して今日のお話。年末の暇つぶしに『CLANNAD』というアニメを久々に通して見ました。すっかりオタクです。『オタクになろうとした話』という記事を以前に書きましたが、それは成功しているみたいです。

この『CLANNAD』自体、感動的な良いアニメなのですが、それにまつわる過去を思い出して、見ながらストーリーと関係なくしんみりしてしまいました。思い出しついでに、ちょっとここで振り返ってみたいと思います。

その前に『CLANNAD』ってなんだよという点に少し触れます。

読み方は「クラナド」です。

泣けるアニメの金字塔

泣けるアニメと言えば? とオタクに問うたなら、その作品が好きかどうかは置いといて代表的なのは『CLANNAD』と答える人が、おそらく最も多いでしょう。

原作は恋愛アドベンチャーゲームで、それがアニメ化されたもの。私はゲームの方は未プレイでアニメだけ観ました。総評で言うと、全体としては最高というわけではない。それは、恋愛ゲームにおける「複数のヒロインを攻略する」という命題が、ストーリーを散漫にするからです。

ゲームでは自然なシナリオでも、アニメとなると話が違う。実際、1期は冗長です。この作品には『CLANNAD』『CLANNAD〜AFTER STORY〜』と2期あり、2期の途中までは色んなヒロインの、それぞれ独立したエピソードを「回収」するという形となっている。

これが、一つ一つはまあまあ感動できるのだが『CLANNAD』という一貫した映像作品としてはテンポが悪い。「多数のヒロインを処理しないといけない」というギャルゲー原作アニメの宿命のせいですね。

なので全体としてはいまいち。真の価値は正ヒロインである「渚」と主人公の物語です。そこに至るまでが長くて正直飽きてくるのですが、後半まで我慢して観る根性と暇がある人にはぜひオススメしたい。

一応名作とされているので好きな人は全編通して面白いのでしょうが、僕は序盤中盤はちょっとした苦行でした。なにしろ長い。要所要所で感動するポイントはありますが、エピソードが散発的なのでダレます。しかし、そこを耐えて乗り切ってほしい。ただし長い。番外編や総集編抜きにしても1期で22話。2期で22話。合計44話! まあ30話くらい頑張って観たら、あとは文句無しに面白いです。

ファンをして「CLANNADは人生」と言わしめる大感動のドラマがあなたを待ち受けています。久々に観ましたがやっぱり泣きました。

だんご大家族を歌った女の子

ここから、『CLANNAD』にまつわる私のしょうもない思い出です――。

4年前くらいだろうか。当時、警備員だった私は独りで、貧しかった。今もそうではあるが、当時はまだどこかで他人に救いを求めていた。期待という感情が強く残っており、なおかつ孤独に慣れていなかったのだ。だが「自分には女性と付き合う資格は無い」と強く確信していたので、欲を出さず慎ましく暮らしていた。

しかしある日、突然いてもたってもいられない気分になり、夜勤明けで家に帰った瞬間、出会い系サイトに登録した。なにがきっかけかは、もう覚えていない。なにかがあったのだろうと思う。ともかく、もう誰でもいい、という気分だったことは覚えている。

そして「友達募集」かなにかに投稿していた女の子に連絡し、後日会うことになった。

待ち合わせ場所には行ったが、きっと相手は来ないだろうと思っていた。なにしろ投稿に添付されていた写真がめちゃくちゃ可愛かったからだ。こんな子が、出会い系サイトなんかで、いきなり引っかかるわけがない。登録したその日に、こんなタイプな子と約束を取り付けるなんて、上手く行き過ぎている。つまり俺は冷やかされている――と思ったが、その子は来た。

信じられない気持ちで、言い合わせていた通り映画館へ。『カノジョは嘘を愛しすぎている』という少女マンガ原作の作品。彼女は上映前からポップコーンをパクパク食べていた。そして映画が始まってすぐポップコーンは無くなった。泣き所でふと隣を見ると、彼女は目を潤ませて上を向いていた。涙だ――と、私はなにか胸にハッとしたものを感じた。

映画自体は、あまり面白く感じなかった。私が映画どころじゃなかったせいかもしれない。なにしろ、女性と映画館に行ったのは、人生でそれが初めてだったからだ。それも「まあまあ」とか「かなりマシ」とかいうのではなく、めちゃくちゃタイプな子だったのだから。私は映画を観終わった後も、これは本当なのかと半信半疑だった。映画について、私は「いまいち」と言った。彼女は「あんまり面白くない映画誘ってゴメンね」と謝った。

駅で別れる時、ちゃんと連絡先を交換した。そこで初めて『LINE』というサービスを使った……ガラケーで。私は当時、まだガラケーだったのだ。連絡を取り合う人がほぼ皆無だったのでスマホにする必要がないと思っていた。そんな私が慌てて『LINE』なるもののアカウントを作り、仕事中も彼女とのやり取りに夢中となった。彼女はマメに返信をよこしてくれて、こちらの冗談に対しても笑ってくれたりと反応が良かった。私はケータイを離せなくなり、ケータイがいつ鳴るか、返信は来ているか、何を言うのかと、そんなことばかり気にしていた。

後日、二人でカラオケに行った。彼女はそこで『だんご大家族』という歌を歌った。

それは『CLANNAD』のエンディングテーマであり、ヒロインの渚がよく口ずさむ歌なのだった。

だが、私は当時『CLANNAD』を知らなかった。観たことないどころか、存在すら知らなかった。現実逃避したくてアニメを観まくりオタクを目指すというのは、その後のことであり、私は彼女の『だんご大家族』を「なんだろこれ」としか思わなかったのだ。

そのカラオケで私はなにか失敗したのだろうか。自分では分からない。だが、その日以来、次第に彼女は付き合いのある他の「男友達」のことをちらつかせるようになってきた。

ここで、女性経験の無さがあだとなる。モテない男の何がマズいかというと、それはモテてこなかったということがマズいのだ。女性認識と現実認識が、誤るという以上に「無い」。モデルを持たないので、対応出来なくなる。彼女は私に「お泊りしてきた」ということを伝えた。誰のところにと問うと「好きな人のとこ」とのこと。そこで私は連絡するのをやめてしまった。まあ、こんなものだ、と。現実認識が甘いと、期待を叶えられないでそれは夢と終わる。そして常に、こういう男は夢を見すぎる。今だったら、自分も「男友達」の一人になろうとして関係を継続するだろう。私は「大人の関係」というものを考慮に入れることができないガキであったのだ。

ここまでなら、ただ女の子と仲良くなるのに失敗しただけの何でもない話なのだが、ここからが私の中で最も大きな後悔の種となっている。

その後、私は酒に酔った状態で彼女にLINEでメッセージを送った。「最近どう」と挨拶程度に。彼女は「私は遊ばれているのかもしれない」と、落ち込んだ感じのことを言った。今の私なら、迷いなくそこに付け込むだろう。相手からしても、それは「付け込んでいい」というサインだったのかもしれない。

しかし私は愚かなことに、そこでキレた。謎である。

「遊ばれてんじゃねえよ! お前はつまんねー女だな!」と。なんでそんな良い女なのに遊ばれてんだよ……という童貞くさい義憤。本音では私もその子とヤりたいはずなのだから、言うまでもなく偽善である。

相手も当然、怒る。「偉そうに、お前とか言われる筋合い無いし!」と。私はさらに暴言を吐いた。「お前はお前だ! 性欲処理に使われて平気なのかよ!」と。

我ながら、頭おかしい。

彼女もさすがに「よくそんなこと言えるね……」とドン引き。そりゃそうだ。急に人をメスブタ呼ばわりする人間は、人格破綻しているに違いないからだ。そして、まったくその通りだったからだ。私はおそらく彼女の人生でも指折りの「最低な男」と相成り、このエピソードは終わりとなる。最後の彼女のセリフは「ただのガキか」だった。その通りだ。私は4つくらい年上だったのだが、彼女より遥かにガキだったなあ、と今さらながら思う。

四年間、この事を思い出すたびに頭を抱えたくなるほど恥じてきた。その時に異常なほど攻撃的になった自分が恥ずかしかった。酒に飲まれて我を失った自分が恥ずかしかった。最近やっと「自分を許そう」という意識を持つようになり、自分から積極的に思い出して向き合えるようになったが、こうして書き散らさずにはいられない程度には引きずっているらしい。

彼女と喧嘩して決別した後、しばらくして初めて『CLANNAD』を観た時、エンディングで『だんご大家族』が流れた。

こ れ か

私の心臓は跳ね上がり、鬼に見つかったような気分でおののいた。「まずい、これはじっくり聴けない」と、エンディングはすべて飛ばす。しかし挿入歌としてしょっちゅうそのメロディが流れる……そうだった、前に『CLANNAD』を観たときは、今以上に苦行だった。話がダルいとか長いとかいうのではなく、思い出したくないことを思い出すから、キツい、キツい、と胸を押さえつつ観終わった。私はもう二度とこのアニメに触れるまいと決意した。それから『CLANNAD』(及び『嘘カノ』)は長らく私のトラウマトリガーだった。

登録した出会い系サイトは、そのあと少し使って、失望しか生まないことを悟って解約した。あれは奇跡だったのだ。こんなとこで誰かに惚れるなんてことは本来ありえないことで、それが一発目にやってきたということは「これっきりにしておけ」ということだったのだ。そのサイトに登録した時の、誰でもいい、という気持ちは、すっかり無くなっていた。そんなの、考えただけでも……つまらん。一人でいる方がよっぽどマシであり、そもそも私は考えてみれば、そんな場合の人間じゃなかったよな、と思い出す。

で、2017年の年末。私はあえて『CLANNAD』を再度一気に鑑賞することで、その記憶にケリをつけることにした。

結果は成功。

私は強くなっていた。まあ、時が忘れさせているだけなのかもしれないし、年齢が神経を鈍くしているのかもしれないが、それはそれでありがたいことだ。別に取り乱すこともなくアニメを楽しめた。『だんご大家族』が流れる時、つらくはなかった。ただ、むかしむかし悲しいことがあったなあと想い少ししんみりするだけですんだ。

あの子もきっと、この『だんご大家族』で涙を流したのだろう。だからカラオケで歌ったのだろう。あの「いまいち」な恋愛映画を観て、私の隣で涙を流していた人である。私以上にしっかり泣いたはずだ。

あのときはごめんね。

そう、謝れるものなら謝りたいが、決して叶わない。せめて私にできることは自分で自分を許すことくらいのものである。私がまだ「最低な男」だったとしてもだ。

どこかで、元気でいてほしいと思う。

バイバイ、怖い夢

やっと、トラウマにケリをつけることが出来た。私は恐怖を一つ捨てた。私を脅かす記憶を。めでたし。

これでこの話は、おしまい。

色々手放した年末年始。

主な「バイバイ」の一つを語らせていただきました。筆が乗ったので、他の「バイバイ」もまた書きたいと思います。こう言うと、小説か? と疑うかもですが、恥ずかしながら、虚飾無しのノンフィクションです。

ではまた。

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