劇場版『中二病でも恋がしたい! Take On Me』レポ

映画を観る前に撮影。「大阪ステーションシネマ」の外は見晴らしの良い高台となっている。

六花、勇太を楽しみにしていた

1月6日に公開した劇場版『中二病でも恋がしたい! Take On Me』を観てきました。この『中二病でも恋がしたい!』はラノベ原作のテレビアニメで、それをオリジナルストーリーで映画化したのが今回の劇場版です。

私はこの作品が恋愛アニメの中では一番好きで、このブログでも度々引き合いに出してきました。はるばる聖地にも行っちゃうほどのファンでした。

※参考記事

・オタクになろうとした話&アニメおすすめランキング

・モリサマー型ちゅうに病(30歳男性)

・『中二病でも恋がしたい』の聖地に行ってきた!

期待値はMAX。ワクワク100%。

これをずっと楽しみにして冬を過ごしてきた。

で、どうだったか。

忌憚ない感想をキレ気味に書いていきたいと思います。

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ネタバレ注意!

ここからはネタバレします。

劇場版『中二病でも恋がしたい Take On Me』

についてのネタバレを含みます!

未鑑賞の方は、ブラウザバック推奨。

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映画の評価・感想

まず結論から言うと、私は全然好きじゃなかった。なので、ここからはネガティブな批評と感想を書いていくことになります。この映画が好きなファンの人は、不快になる可能性があるので注意。あと『ラブライブ! The School Idol Movie』についての酷評も含むので、ラブライブファンの人も嫌な気分になりそうだと予感したら、ここで読むのをやめてください

大好きなアニメの、楽しみにしていた映画。

はっきりいって残念でした。

ではどこが気に入らなかったか。


使い回されるテーマ


繰り返しますが、遠慮なくネタバレします。

この映画、六花と勇太が駆け落ちするという話なのですが、その理由は六花の姉である十花に抵抗する為。十花は六花を「このままにしておくわけにはいかないから、イタリアに連れていく」と言うので、それを阻止しようというのが目的です。なぜ「このままにしておくわけにはいかない」のか。何を彼女は問題視しているのか、それというのが――。

六花が中二病である、ということ。

なぜ中二病だと問題なのか? それは、

・母に心配をかけるから

・このままでは将来が心配だから

とのこと。

おいおいおいおいおいおい……

もうやったから! その話!

「母親を心配させない為に」と、六花は1期の10話かその辺りで中二病をいったん捨てます。母親や祖父、姉は六花がまともになれば安心するから、と。「中二病のままでいることは良くないのではないか?」という問題提起がなされる。勇太も六花に「眼帯外せ」と言います。

だが勇太がすべきことは、六花の周りの人のことを考えて空気を読むことじゃない。現実的に考えることじゃない。「すべてを敵に回しても六花の味方につく」ということだという正解の答えに、凸守を泣かせ、悩み、そしてくみんから六花の中二病になった由来を聞かされ、やっと辿り着いたはずなのです。

そして六花は最後、中二病である自分を認め、再び眼帯をつける。勇太と共に「現実=世間ではなく気持ちを大事にする」という結論に至ったのです。

というのが1期のストーリー。

つまり「中二病でもいいのか?」⇒「OK」

って……結論出てるんですよ! その問題は。

1期で片付いているんですよ!!

十花の中では、まだ中二病を問題視しているとしても、こっちからすれば「もうそれはいいよ」って感じ。「もう18歳なのに」という点が前とは違いますが、そんなの、バリエーションがちょっと変わっただけ。根本的には一緒。おんなじテーマの繰り返し。なのに、それをまた持ってくるという……ここでガックシとくる。新たな課題を設定できなかったのか? 「中二恋」はそのポテンシャルを持った作品であるはずでしょうが。

しかも、映画の終盤でストーリーを揺るがしたのが、どんな問題だったかというとですね……

恋をとるか、力をとるか

つまり「勇太を本気で好きになることで、邪王心眼の力が失われてしまう」という六花の苦悩wwwwもう草生えますwwww

あのさ、それさあ……

2期でさんざんやったじゃん!

いいかげんにしてください!!

2期において、勇太を好きになった六花は妄想力が失われてしまいます。七宮智音という、前に勇太のことが好きだった女の子がいる。その七宮も中二病なのですが、勇太への恋心をとるか、非現実を信じる力をとるか、という二択に直面し、後者を取ったという過去がある。

七宮は恋をあきらめて中二病を取った。だから六花もいずれかを選ぶ、すなわちいずれかを捨てる覚悟をすべきだと考えていました。しかし、六花は結局「どちらも犠牲にしない」という結論に至ったのです。2期の最終話のラストシーン、六花は言いました。「自分はソフィア(七宮)の想いをたくされたのだ」と。だから、勇太との恋に向き合うのだと、彼女は結論したのです。

その為の2期の合計12話だったのです。

なのに! なのに!

「Take On Me」で六花は、指輪をプレゼントされて改めて勇太にガチ惚れし……邪王心眼設定に対する情熱が冷めている自分に気づき……勇太から逃げます。勘弁してください。これさあ、シチュエーションだけ変えて、同じこと繰り返しているだけなんですが……七宮にたくされた想いはどうなんの? 脚本の花田さん、アニメシリーズちゃんと見返したのかな? いや、わざとやってんのでしょう。これが彼の「技術」なのでしょう。「オタクは新たな展開より、見慣れた、慣れ親しんだ展開を好む」という性質を理解しているんでしょう。だが私という残念オタクはそうではない。

こんなんで喜べるかよ、ってなる。

ぶっちゃけて

一つの映画作品としては駄作です。

まあ勇太と六花がキスした瞬間だけは、良かった。なんやかんやでこれは、二人をキスさせる為だけの話ですから。でも、ちょっとそこに至るまでの内容が浅いというか……。

正直、観ていて腹が立った。これで泣く奴いんの? いや自分、泣きそうでした。本当にちょっと泣きそうでした。悔しくて……私は「中二恋」を10回以上は通して見ています。人生で最も愛したアニメと言ってよい。攻殻機動隊とかの方がそりゃ面白いけど、愛着なら「中二恋」の方が上。聖地も行った。その終幕となるであろう劇場版。楽しみにしていた。感動して泣く気マンマンだった。

それが、これかよ……。

電車の中でも、ちょっと泣きそうになる。

批判ばかりで、すみません。面白かったと感じた方には申し訳ない。

実際、映画館を出る時「良かったな」「良かった」と言い交す声も聴こえました。私は「良くねーよ! なんなの!? テレビシリーズの焼き直しじゃん!? これで面白いとか、お前ら記憶喪失なの!?」と大声で叫びたかったのですが、それは押し付けというものです。こういうのは、面白いと感じた人には名作なのです。突き詰めれば好みの問題。あの脚本が肌に合う人は、何度も見に行ったりするのでしょう。

ここで言っているのは、どこまでも私の好みにすぎない。

花田十輝について

そして私は花田十輝の映画の脚本が、どうも好みではないらしい。

作家性というと大げさかもですが、そういう才能はまったく感じない。正直、この人の優れた点は「構成」または「整理」であると私は思う。作家ではなく、あくまで構成作家。組み立てるべき素材が予め豊富にあると、力を発揮するタイプ。ゼロから原案となるアイデアを出す力は無いような気がします。この人が脚本を担当したアニメで『シュタインズ・ゲート』という名作がありますが、それが名作たりえたのは、原作のゲームがシナリオも設定も厚く、超良質な素材だったからだと思われます。それを「整理」して決まった話数に収め、テレビ用のシナリオとして「再構成」する。花田さんは、その技術が一流でした。

だが「オリジナルの話で映画やろう」と、

それで花田さんに感動させられたことは無い。劇場版『けいおん!』も然り。そこまで感動はさせてもらえない。「うまくまとめたな~」という感じ。

かつて『ラブライブ!』というアニメにハマってた時があったのですが、

※参考記事:『ラブライブ!サンシャイン!!』で真理を学ぼう

その作品の劇場版は、ものすごく売れました。ちょっとした社会現象になるくらいで、リピートするファンがたくさんいた。完全に「成功した企画」だと言ってよいでしょう。

なので、私の意見はあくまで私固有の「好みの話」です。

その上で『School Idol Movie』を私は駄作だと感じた。今回とまったく同じような怒りと悲しみを持って、かつて別のサイトでweb日記に書きなぐった文章があります。

2015年6月22日

「ラブライブ」は俺にとって癒しだった。批判の多い二期も、泣かせてくれたから好きだった。二次小説書いてしまうくらいはまった。だが13日に公開された劇場版で、地の底に叩きつけられた。ここ最近、これを楽しみに生きてきたのに。

率直に言うと、映画としてひどく出来の悪い作品だった。泣きそうなくらいの不満に、思わず一年振りにブログを書いた次第。なんでラブライブ好きな俺が、この映画をイマイチだと思ったのか。まあ理屈どうこうじゃなく、本来映画なんて「面白いか面白くないか」だけでいいんだが。

面白くない! ああ、面白くなかった!

もうそれだけなんだが。

説明するならば――

・まず根本的にテーマが弱い。

解散するかどうかってことだけど、続けようがやめようが極端なはなし「どっちでもいいだろ」ってなる。しかもこれは2期でμ‘sが乗り越えたはずのテーマで、同じ課題を使いまわしていることになる。

そもそもテーマが客観的に見てどうでもいい。

もちろん、ファンやμ‘sにしてみたら重大なことなのだろう。俺にだってμ‘sが消える虚無感はある。しかし「映画の核となるテーマ」として、これでラストまで引っ張るのは辛いものがある。「信念に沿うか」というのだけではストーリーに緊張感も持たせられない。ターゲットとなる層が狭すぎる。μ‘sに対して並々ならぬ思い入れを持つものにとってしか、これは重大な問題とはなりえないだろう。俺はμ‘s好きだけど・・・テレビシリーズならいざしらず、映画となればどうしても客観的に見てしまう。

解散しようが続けようが、誰かがひどく傷つくわけでもないし、死ぬわけじゃないし、大して悲しい思いはしない。これでは極端な話「どっちでもいいわ」ってなる。もっと強くストーリを引っ張るような事件が起こってもよかったんではないか・・・?

・謎のおねえさん

これが完全に未消化。彼女のマイクも、いかにも複線って感じを出しといて投げっぱなしジャーマン。「考察しろ」っていうけどさ。それは映画の中でちゃんと役割を演じた上で謎を残してこその「考察」でしょう。あのお姉さんは単に「はい謎ですよ考察してくださいね」って感じで、キャラとして成立させるのを怠っているっつーか。作りが薄い。手抜き?……ってなった。

・花畑のシーン

「飛べるよ」って謎のおねえさんのセリフ。からの、ほのか水溜りを越えるっていう演出。ほのかの直面している問題が、そもそも「乗り越える」とか「飛び越える」っていうイメージに即さない。あのシーンは美しいだけに、それまでのストーリーとのちぐはぐ感が残念すぎた。

・スクールアイドル集合

ほのかは「μ‘sやアライズのほかにも、たくさん素敵な子達がいる」みたいな事を言っていた。それを伝えるためのライブにするってことなんだろうけど・・・結局、全国から集まってきてくれた女の子達はライブ中、「十把一絡げのバックダンサー」でしかなかった。

あれでμ‘sとアライズ以外のスクールアイドルの魅力が伝わるのか?・・・と疑問に思う。μ‘sしか目立ってなかったし。あれを見た人は「スクールアイドルすごい」ってより・・・「こんなに大勢を率いてライブをするμ‘sすごい!」ってなるだろ。冷めるわ。

まあ色々理屈こねてみたけど、面白くなかったって話。

μ‘sは悪くない。監督と脚本が悪い。

もうアニメはいいやってなるほどの失望でした。

おしまい。

お気づきだろうか。劇場版『ラブライブ!』も、今日の「中二恋」と同じく「テレビシリーズで取り扱ったテーマを使いまわしている」のです。しかし商業的には大成功。これを喜ぶ人は多いらしい。そうそう思い出した。

「じゃあ、俺にはオタクの才能ねーわ」

ってなって、アニメから離れたのだった。

ちなみに「中二恋」の劇場版はこれで二度目。前回は総集編だったのだが、これが最悪の映像作品だった。総集編としてもクソ。そもそも総集編を映画でやる価値ってなんなのだろうか。金にはなる。だが芸術的な価値は無い。あるとすれば、エヴァみたいに、そっからの新展開の土台となる場合だけだと思います。

京都アニメーションについて

あとついでに、京アニについて。前回の記事で引き合いに出した『クラナド』も京都アニメーションです。『涼宮ハルヒの憂鬱』もそう。(上で引き合いに出した『ラブライブ!』の制作会社は京アニでなくサンライズ。脚本が花田十輝)

私はどれだけ京アニの作品で感動し、涙を流してきたことか。私の中の最高傑作はやはりテレビシリーズの「中二恋」です。ぜひとも成長してほしい愛すべき会社である。

だから、面白いものだけを作ってほしいと願っている。

京アニは、あくまで優れた職人集団だと私は思っています。そこには原作が必要。そこには作家が必要なのです。言うまでもなく、ここでいう「作家」というのは「小説家」のことではなく、ゼロから面白いストーリーを創作できる人間のこと。今回と前回の「中二恋」の映画で「いける」と判断したということは(引いてはハルヒ2期のエンドレスエイトにGOを出したということは)そこに作家が不在だったのだろうと思ってしまう。花田十輝は上で言ったように「整理・構成・調整のプロ」です。一流の演出家であると言ってよい。しかし作家ではない。つまり作家不在で映画が作られたということになる。

監督もまた、熟練した演出家です。だが……それだけじゃだめなんだ! やっぱり「作家」が必要なんだよ! 『クラナド』の場合は、それが才能十分な麻枝准だった。「中二恋」の場合は虎虎だった。「中二恋」の原作はアニメとだいぶ違って洗練されていないというか垢ぬけていないというか、大した小説ではありません。しかし、そこには小鳥遊六花をはじめとしたキャラに対する熱があった。「中二恋」の世界に対する強い想いがあった

その熱や想いが芸術作品には不可欠なのです。

それを提供できる作家がいないと、こんなことになる。アンチ花田十輝なのではない。彼という演出家を活かすための、しっかりした作家、しっかりした素材が必要と言っている。

京アニよ!

作家と作家でない者を、ちゃんと判断してくれ。

作家でない者を作家と思いこんで、どうかコケないでくれ。

一部の信者だけ喜ばすのでいいのか。本当にそれでいいのか。『君の名は』で新海誠がやったように、非オタの一般人の心も揺さぶるような普遍的な「芸術作品」を作って、京アニの名を知らしめたくはないのか! 勇太がロミオとジュリエットさながらに六花を「さらっていく」場面で、こういうセリフがある。

「六花来い! つまらないリアルに戻るのか、それとも俺と一緒に、リアルを変えたいと思わないのか!」

1期12話『終天の契約』

なんど観ても涙が出てくる熱いシーン。熱いセリフ。

この感動は劇場版には、無かった。

バイバイ、邪王心眼

今回の「Take On Me」も、多くの人に感動を与えた劇場版『ラブライブ!』も、私の感性からすると残念ながら、ただの「ファンムービー」でした。ファンムービーとしては優れているけど映画としてはガッカリな代物。ファンムービーを観るつもりでやってきたファンは、満足するのかもしれないが……なのでまあ……私が期待しすぎたというのもあるでしょう。というか、それですね。

期待しすぎる。

これが、いつも失望を生む。いつもいつも、そうです。アニメじゃなくても、人に対しても、何に対しても……それは言いかえれば「幻想」です。私が捨てるべきなのは「過剰な期待」なのでしょう。ひとつひとつ、幻想が捨てられていく。ちかごろ立て続けに。

最終的には「私」という幻想が捨てられるのでしょうか。

話が大きくなりすぎました。

「中二恋」への熱が冷まされた本日。これもなにか流れのようなものを感じます。幻想を捨てていく流れ。今回の「幻想」とは「過剰な期待」です。

前回の記事で捨て去った「幻想」は「恥ずべき過去」でした。

※前回記事:みんな、みんな、まーとーめーて、だんご、大家族

六花を、勇太を、凸守を、モリサマーを、くみんを、それらに対する依存を……私は捨てることになります。アニメ熱はもうとっくに冷めていて、最近はこの作品だけを繰り返し観ていました。だけど、それは私を救うことは無い。期待はもはや無い。一つの「お気に入り」映像作品として、またいつか観るだろうな……というくらいの気持ちになった。

これでよかった気がする。

今日は映画を観に行って良かった。

バニッシュメント私の幻想。夢。

バイバイだ!

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